ワンワールド史観(落合史観)に関する用語まとめ

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人名


甘粕正彦
(1891〜1945年?)
日本の陸軍軍人。憲兵大尉時代、関東大震災の際に甘粕事件を起こした事で知られる。その後満洲で関東軍の特務工作を行い、満州国の建国に大きな役割を果たした。上原勇作がフランス留学中に産ませた隠し子を愛人にした事で、彼の「裏の娘婿」として上原と吉薗周蔵の間を取り持ち、上原の死後は周蔵の上司になった事もある。その後は辻政信と共同で山下奉文を助け、シンガポール攻略にも一役買った。

上原勇作
(1856〜1933年)
日本の陸軍軍人。もとの名を龍岡資長といい、後に島津家一問の上原家の養子となった。山縣有朋や桂太郎ら長州閥の元老が凋落した後に陸軍に君臨。「上原閥」という協力な軍閥を築き上げ。荒木貞夫や真崎甚三郎が属していた事で知られる。1895年にフランス留学、その際アルザスの欧州大塔宮の一族・ポンピトー家の牧師の妹との間に、後に甘粕正彦の愛人となった娘を儲けたとされる。薩摩ワンワールド三代目総長としても君臨した。
※参考:上原勇作まとめ

高島鞆之助
(1844〜1916年、たかしまとものすけ)
薩摩藩士で陸軍大臣などを歴任した。学校法人追手門学院の創立者としても知られる。上原勇作が後に義父となる野津道貫の書生となった際、鞆之助自身も野津家に住んでおり、その後も長く付き合いがあった。薩摩ワンワールドの2代目総長とされている。

吉井友実
(1828〜1891年)
薩摩藩士で、維新後は宮内大輔などの官職の他。日本鉄道の社長を務めた。薩摩ワンワールドの初代総長とされ、西郷、大久保と共に堀川戦略の中心的存在でもあった。ギンツルとも交流があった模様。息子に、2代目薩摩ワンワールド総長となった高島鞆之助の養子である高島友武がいる。

吉薗ギンツル
(1838〜)
吉薗周蔵の祖母。公家堤家の当主、堤哲長との間に周蔵の父親である林次郎を生んでいる。また彼女のいとこにあたるタカは、陸軍元帥・上原勇作の母親にあたる。

吉薗周蔵
(1894〜1964年)
現在の宮崎県小林市で生まれ、16際で上原勇作の諜報工作員「草」として様々な動きをする。その経験と見聞は「周蔵手記」としてまとめられ、遺児の明子氏から落合莞爾氏に託された。

その他


欠史八代(けっしはちだい)
古事記や日本書紀において系譜は存在するが事績が記されていない、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のこと、あるいはその時代の総称。現在の歴史学では、異説はあるもののこれらの天皇達は後世になって創作されたと考える見解が有力となっている。落合莞爾氏は、京都皇統からの情報により、欠史八代が実在した事を実証している。

國體ワンワールド
ウバイド人の末裔が構成する国際的な秘密勢力のこと。

修験サエキ
ウバイド人の末裔の一派。行動が修験者に似ており、また「佐伯姓」を名乗っていた事からこう呼ばれる。末裔の一つに真田氏が挙げられ、真田流医学を伝えていった。

南北朝の強制合一
護良親王の第二皇子である益仁親王を、北朝の光厳上皇の第一皇子とすり替え崇光天皇とし、南北皇統が実質的に合一した事を指す。これによって、護良親王の直系子孫が皇位継承するという大塔政略のルールが機能し始めた。

覇道一神教
覇道性(侵略や支配によって自身へ富を集めようとする考え方)を持った宗教のこと。イエズス会が代表的で、国際金融連合とも繋がりがある。一方、國體は「世界の調和を保つ」といった観点から、覇道一神教による侵略を防ごうとしている。
※参考:覇道一神教とは?

羅津
北朝鮮北東部にある「羅先」のかつての名称。現在は羅先特別市として、海外資本に開かれた特区を擁している事でも知られる。メソポタミアから東に移動したウバイド人か各地の河川で砂金を集め、この地に黄金およびアヘンを集めたと言われている。またこの地にある羅津港は良港であり、日本海交流の要地でもあった。

※参考:落合莞爾さんの歴史観(ワンワールド史観)に関する備忘録を書いてみた

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