自分用メモ。
上原閥の構成員について
・薩閥:大迫尚道、町田経宇、田中国重、菱刈隆
・九州閥:★宇都宮太郎、福田雅太郎、尾野実信、★武藤信義、★真崎甚三郎
・陸士旧3期(+旧2期)閥:秋山好古、大谷喜久蔵、内山小二郎、柴五郎
・第5(野津)師団閥:浅田信興、一戸兵衛
・副官閥:奈良武次、今村均
・工兵閥など
※長州閥と重複するもの(田中義一、井上幾太郎)もいた。
田中義一や宇垣一成との関係
清浦奎吾が首相になると、上原勇作のライバルである
田中義一は宇垣一成を陸軍大臣に推薦し、受諾される。
こうして上原閥は没落し、田中・宇垣が勝利を収めた。
一方、上原閥の流れを汲む「反宇垣派」は「皇道派」となり
新たな派閥抗争を生み出していく。
上原勇作とロシア革命
日露戦争前では上原勇作元帥が明石元二郎大佐を使って
ハプスブルク家のルートを利用しロシアへの調略作戦に成功している。
欧州の國體ネットワークを通じて、
日露戦争を有利に仕向けた明石元二郎大佐は
ロシア革命も仕掛けている。
それに要した当時の1000万円は國體天皇の睦仁親王が
本願寺を通じて國體黄金を使ったものである。
山県有朋元帥は明石元二郎大佐の
100万円の要求を承諾したことで得意となっていたが
山形はイエズス会と通じていたため敬遠され疑われていた。
彼を監視していたのが小西郷と大山巌である。
また、上原勇作元帥はアルザスのポンピドー家の娘婿となり
彼らの娘の結婚相手が甘粕正彦であった。
上原の草だった吉薗周蔵は、以後甘粕の指示を
受けることになったが後に石原莞爾の草となった。
もともと吉薗周蔵氏は上原勇作元帥に
荒木大将の草となるように命ぜられたが
荒木大将が226事件の首謀者の一人でもあったことから
石原莞爾の草となることを決断したという。
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